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学大のランドマーク・笹崎ボクシングジムの歴史

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学芸大学駅から徒歩2分ほど。東口を出て線路沿いをまっすぐ行ったところに、笹崎ボクシングビルがあります。笹崎ボクシングジムが入っているビルです。

笹崎僙(たけし)が表紙となった「拳闘ガゼット 昭和15年3月上旬号」

笹崎ボクシングジムを開設したのはプロボクサー・笹崎たけし(1915年~1996年)。そのボクシング人生は波乱万丈でした。戦争で左目を失明しながらもボクシングを続け、敵国のスポーツとしてボクシングの試合が禁止されたり、あるいは幾度か引退・復帰を繰り返す中、1947年には第1回全日本ライト級チャンピオンになりました。

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画像転載元/とうよこ沿線:写真が語る沿線 No.16

そんな笹崎たけしは1946年、碑文谷の畑の中の馬舎を修理してボクシングジム(当時は笹崎拳闘倶楽部)を作りました。カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)の隣です(サレジオ教会のほうが新しい)。

笹崎たけしはジムで弟子を指導しつつ、みずからもボクサーとして試合をしていたのですが、1951年5月、現在地・鷹番3丁目に笹崎ボクシングホールを開館します。そして同年8月には同ホールの隣に自宅とジムを新築しました。

この笹崎ボクシングホールは昼はトレーニング場だったのですが、夜は芝居、色物、浪曲などの興行を催していました。同ホールは数年後には笹崎座と改名するのですが、当時、住み込みで生活していた大衆演劇役者の一人が三波伸介。てんぷくトリオ、「減点パパ」「笑点」司会者、「びっくりしたなぁ、もう」でお馴染みのコメディアンです。

1964年、東横線の高架が工事されるのに伴い、一時移転(※詳細下記)。そして1968年、現在地に5階建ての笹崎ボクシングビルが完成しました。「学大で第一ストアー(大鷲ビル)の次にできたビルが笹崎」とは松本商店(閉店)のお父さん談。

ちなみに、私が調べた限りでは以下が古いビルトップ3です。

1961年02月 大鷲ビル(第一ストアー)
1968年12月 笹崎ボクシングビル
1969年05月 牡丹ビル

これに続くのがレッドイン丸花あたりかな?(築年不明)

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なお、建て替えの間、笹崎ボクシングジムはこの場所で運営されていました。現在、アーク石田ビルのある場所です(一階はぐでんぐでん)。すぐ隣のビルにはHAYATO GYMがあるというのも何かの縁でしょうかw

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笹崎ボクシングジムはファイティング原田斎藤清作(たこ八郎)などを輩出しました。世界チャンピオンを生み出したジムが地元にある――特に古くから学大に住んでいる人たちにとって、笹崎ボクシングジムは誇り。界隈の飲み屋でご年配がたと話をしていると、ファイティング原田の名前もよく出てきます。

また、ビルの一階にはあらちゃんTime Lag(タイムラグ)花こよみ手打ちそば やっこといった飲食店が軒を連ねています。ですから、ボクシングに興味はなくとも、学大住人にとって笹崎ボクシングビルはとても馴染み深い建物です。

「笹崎を曲がってずっとまっすぐ」

「東口出てさ、線路沿い行って、笹崎のすぐ手前」

前者はトリッキーズ(tricky's)、後者は函館IZAKAYA ながまるの場所の説明なんですが、こういう説明をする際に、笹崎ボクシングビルがよく使われます。それだけ学大住人の間では笹崎ボクシングビルが当たり前の存在だということです。

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歴史があり、ずっと愛され続け、言えば誰でもわかるその土地のランドマークとなる。これってすごいことですよねぇ。

参考/笹崎ボクシングジム:ジムの歴史

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