わかる人にはわかるという程度のシニカルな言葉を紛れ込ませることになるかもしれない。そう思いながら扉を開けたのですが、私が負けました。だから罰を受けることにしました。
学芸大学駅から徒歩2分。西口方面のバス通り沿いに鳩乃湯(はとのゆ)というお店があります。2019年4月11日にオープンしました。
運営の有限会社近藤商会はROJIURASAKABA 青 CORNER(中目黒)、わたるがビュンっ(代々木)、ハトノーユ(池袋)、初場所(中目黒)を展開しています(2022年4月時点)。オーナーの吉利雄太氏(以下、便宜的に店主)はブンプク(文化服装学院)出身。
コの字カウンターか。どうせ形だけでしょ? あざとい感じがどうもねぇ……そんなニュアンスを文章に匂わせることになるのかなぁと思ってたんですが、いやいや。
こういう類にありがちな取って付けた感がありません。しっくりくる。
コの字カウンターとテーブルの丸みがとてもよく効いています。スクエアだと大衆ぽさが強く出過ぎていたはず。
アルミサッシのような窓枠。間仕切りに利用しているアンティークな水屋。おそらくはあえてそうしているであろう少し明るめの照明。盆栽。細かいところで凝るけど、総体的にはやり過ぎない。
うーん。さじ加減が上手だなぁ。おしゃれ。ただ、少々むずむずするのはどうしてだろう……。
「御食事」「御飲物」。表の看板、暖簾にも「御食事」「御宴会」。字面がいいし、フォントのチョイスもいい。看板の赤い文字の使い方は牛太郎(武蔵小山)のような昭和の酒場あるいは古い民宿・ホテルなどを彷彿とさせます。ただ、こういうギミックはともすると、安っぽい作り物然としたテーマパークになりかねないのですが、そうはなっていません。上手。
ほぅ。ボトルキープができるのか。こういう店ではあまりないような。
珍しく一杯目は緑茶割。何か意図があってのことではありません。前日、飲み過ぎたから。
「塩モツ煮と……ラムカツはあのラムですか?」
「はい、あのラムです」
「じゃあラムカツと、お願いします」
塩モツ煮。鳥皮と鳥のハツでしょう。鳥皮のモツ煮で思い出すのは恵比寿にあったほりこし亭。
しっかりとしたダシに、ゴロンとカットされた根菜。添えられた唐辛子は辛めで、これを溶くと辛さだけではなく塩味も変化して楽しい。
食べ終えた器を店主が下げに来ました。
「完食ありがとうございます」
ん? ああ、この唐辛子のことかな。残す人が多いのか。もったいない。
「これはかんずり?ですか?」
「唐辛子に2種類の味噌を」
「ああ、自家製なんですか。おいしいですね」
「ありがとうございます。辛くなかったですか?」
「ええ、辛いのが好きなのでよかったです」
トーンを上げないこの落ち着いた感じは、これまで何軒もやってきた経験から来る余裕ということもあるんだろうけど、店主の人柄自体がこうなんだろうな。オープンする数日前、店頭でひと言、ふた言、言葉を交わした際もそうだったし。店舗デザインにもそれが表れているのかもなぁ。
次から次へと客がやって来ます。詰めれば入れるかもしれないけど、店は頭を下げ断っていました(実は私も数日前に断られた口)。店のキャパをわかっているからでしょう。詰めて入れても料理が遅れるかもしれない。しかもまだオープン直後。無理はしない。このあたりのやり方も上手。
私はラムが大好きです。牛豚鳥より、ラムと馬が好きかもしれない。
まずはそのままひと口。ふむ。ラムカツにはカレー粉のようなものが使われています。ラム感はほとんどありません。フライにすると風味が飛ぶのか?と思いきや。
フライは5つほどありました。最初の3つはラム感がなく物足りなかった。けど、最後の2つはしっかりとラム感があります。何の差だろう。
最後の2つがデフォなら断然ありですが、このバラつきがあるのなら、ちょいとどうかなと。あと下味をしっかりさせたほうがいい。カレー粉っぽいのもつまらんね。クミンだけでいい。と厳しくなるのは、それほどラムが好きだから。そして、それほどこの店のレベルが高いから。
ちょっとずつ肴盛合を頼んだので、日本酒を合わせましょう。
「たか? ですか。貴の純米を」
「貴 1合ですね。グラスに注ぐか、猪口で少しずつ飲むか、どうしましょう」
「じゃあグラスで」
溢れるコップに口を近づけすすります。甘味が強いミディアムボディ。好きな味。刺身でも挟んでおけばよかったか。あれ? 上の写真の瓶には「辛口」と書かれているぞ。甘く感じるけど、これを辛口というのか。いかんせん日本酒は経験が不足し過ぎてる。
「わっ」
「れんこんのきんぴら、鯖のへしこ、穴子一夜干し、梅水晶です。へしこは下の大根と少しずつどうぞ」
10万回書いていますが、私の好きな魚介ベスト3はサバ、タコ、ウニ。当然、鯖のへしこも大好物です。
へしこは炙られていて香ばしく、糠の甘味が日本酒でふわり。比較的塩味が少ないタイプなので、多くの人に受け入れられやすい味でしょう。きんぴらの塩梅もにくいし、クッと締まってうまみが凝縮した穴子もいい。
なんでしょうねぇ。いやらしい組み合わせだ。日本酒1合で肴盛り合わせを片付けようと思ったんだけど、こいつは手ごわい。
ほらね。これでも相当がんばって箸のペースを上げたんですが、やっぱり間に合いませんでした。かといって、ここからもう1合いくというのもなんだかねぇ。
だから金宮珈琲酎。当然、穴子やへしことマリアージュしません。むしろ、穴子、へしこのうまさをぶち壊す。
これは罰。戒め。入る前から「この店はこんな感じだろう」と高を括っていた自分への。
隣の客もテーブル客も、店主の同級生・後輩だったり、姉妹店(中目黒等)からの流れだったり。明らかに一般的な学芸大学の客層とは異なります。
そう、これなんだよ。学芸大学という街が変わりつつあるということがよくわかる一例。他の街から人を呼べる店が増えてきました。
地元民が集う地域密着型の店も、もちろんいい。けど、そればかりだと街が淀みます。ある程度、新しい風を呼び込む必要がある。そして、ここ数年にできた元気のある飲食店がその役割を担ってくれています。たとえば、AWORKS、ヒグマドーナツ、ひとひら、ばりき屋など。
古きよきだけじゃない。そこに新たな風が吹き込み、新旧が入り乱れ、街に活気が溢れる――ちょうど20年前、再開発が始まる前の中目黒に、いまの学芸大学の状況がとてもよく似ている。私はこれを"学大の中目化"と呼んでいます。
※Hummingbird coffee、BALLAD by Thunderbolt、鳩乃湯など、店も中目黒から学芸大学に流れてくるようになりましたが、このことを"学大の中目化"と言っているわけではありません。そして、上述のように今の観光地化した中目黒を指して"中目化"としているわけでもありません
鳩乃湯は15:00オープンで22:00ラストオーダー。学芸大学の常識からするとあり得ません。学芸大学の正解は18:00~25:00。開店当初はオープン時間が早めでも、まあ半年もすれば必ず後ろにずれる(物件事情で24:00を越せないことはよくあるけど)。
でもね。
鳩乃湯を学大の常識で計っちゃいけねぇ。学大に活気をもたらしてくれるかもしれない存在を、学大という枠に押しんでどうする。これまでとは違うからこそいいんじゃないか。違うからこそ学大に変化をもたらしてくれるんじゃないか。
店としては「んなこと考えてねーよ」と思うかもしれませんが、私はそう期待しているということです。
いま一度、店内を見まわします。むずむずとする理由がわかりました。
私は少し疎外感を抱いていたんです。なんだかよそ者のような感じがする。飲みなれたこの街で抱く完全なアウェイ感。けど、それでいい。それがいい。
私が心地よさを感じるような、どっぷりつかれるディープでコアな酒場じゃいけないんです。どの街の人間であっても来やすいと感じられるような軽やかさが鳩乃湯には必要で、それを見事に実現しています。
「内輪感の少ないバーってどこですかねぇ。最近、学芸大学に越して来た人が、どのバーも内輪な感じがして居心地が悪いって言うんですよ」
以前、焼酎バー・SSSのマスターにそんなことを聞かれました。
内輪感という言葉が適切かどうかはさて置き、人と人の距離が近いというのが学大飲食の特徴で、私はそれがいいと思っているし、だから学大という街が好きなんだけど、みんながそう感じるわけでもありません。
店主や常連と絡んだりするのが苦手、あまり好きじゃない。サラリと軽く利用できる。そういうお店を探しているのなら、ここ鳩乃湯はピッタリだと思います。実際、一人客は私だけでしたが、一切、話しかけられることはありませんでした。
あ、そうか。
ラムカツにラム感があまりなかったのも、鳩乃湯で出すならそれが正解なのかもな。誰もがクセを求めてるわけじゃないんだし。こういうラムカツだって必要なんだよ。学芸大学という街が鳩乃湯のような店を必要としているのと同じようにね。
鳩乃湯がすくい取るもの
「鳩乃湯行こう」
友達と鳩乃湯へ行った連れが、この上なく気に入ったようで。一滴も飲めない連れが珍しく酒場へ行こうと言い出しました。
これがおいしかった、あれがおいしかったと私に講釈。まあ、その言を信じて任せてみるか。
「このサラスパめっちゃうまいよ」
塩梅もいい、スパゲティの茹で加減・締まり具合もいい、カレー粉を振りかけてるのもいい。くっそ。まじでうめぇじゃねぇか。
「この自家製焼豚、和っぽくていいんだよねぇ」
ほろほろのチャーシュー。うめぇな。
「餃子、汁が溢れるから気を付けてね」
大きくて肉々しくてジューシー。前回、本当は頼みたかったやつ。うめぇ。超うまい。こりゃマストだ。
「鳩乃湯の何がそんなにいいの?」
「おいしい、気取ってない、明るくてきれい、変なオヤジがいない」
なるほど。私が感じていたこととほぼ同じですが、もう少し深く考えさせられました。
学大に住んでいながらも、学大の店には行きづらいと感じている人も多いことでしょう。たとえば、隣の酔ったオヤジに「この辺に住んでんの~」とか話しかけられるの嫌ですよね。けど、ここならその恐れがない。鳩乃湯が排除しているわけではなく、"変なオヤジ"はこの雰囲気が苦手。だから寄ってこない。それがいい。
パッと見まわします。男女比は4:6。女性の方が多いです。そしてもしかしたら、その場の最年長は私でした。
鳩乃湯は学大の居酒屋ではすくえなかった層をすくい取ってくれています。こうしてコアだった街は幅広さを会得して、深く、そして広くなっていく。いい傾向だと思いますし、鳩乃湯が果たす役割の大きさ、重要さに改めて気づかされるのでした。