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更科(下目黒)のそばはほどよくコシがあり、カツ丼はジャンクなおいしさ。戦前から続く老舗はニトリの客で再び賑わう。

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学芸大学駅、祐天寺駅、武蔵小山駅から徒歩20分弱。目黒通り沿い、リベラ目黒店の並びに更科(さらしな)というそば屋があります。2022年4月にオープン予定のニトリ目黒店の隣です。

創業は記事執筆時点で80年以上前。戦前です。1930年代後半あたりでしょう。この件についてはまた後ほど。

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食品サンプルが並ぶ店頭のショーケースが好き。学芸大学ではほとんど見かけなくなりました。あるのは二葉そば処 入船松月庵くらい?(イオンスタイル碑文谷内除く)

気になるのは一枚目の写真に写っている「そばもおつゆも自家製です」(そば太郎)という木札。ネットで調べたところ、何軒かのそば屋で使われていました。その内の一軒は比較的近くにある蕎麦 季(武蔵小山)。「ゆ」だけが変体仮名(「由」に由来)というのも面白い。

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暖簾の文字は「御膳」と「きそば」。「きそば」も変体仮名です。「き」は「幾」、「そ」は「楚」、「ば」は「者(+濁点)」に由来します。

もともと仮名にはいくつもの形がありました。ところが、明治33年(1900年)、小学校令施行規則で現在の平仮名が定められ、公教育で教えられるようになります。逆から言えば、現行の平仮名にはなれなかった仮名があるわけでして、これらを変体仮名と言います。

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そば屋や寿司屋の暖簾、看板などで変体仮名がよく使われています。やっこは店名で変体仮名を使っていますね(「古」に由来する「こ」に該当する変体仮名)。変体仮名が使われているのに深い意味はありません。雰囲気です。

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「カツ丼ともりそばをお願いします」

「セット?」

「あ、セットがあるのか。はい、カツ丼ともりそばのセットをお願いします」

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やってらっしゃるのは60代、70代くらいのご夫婦(おそらく)。店内が妙にさっぱりしているのですが、お二人の様子を拝見するに、その理由もよくわかります。寡黙なご主人、さばさばな奥様。お二人の性格が店の雰囲気に表れているのでしょう。

更科のメイン画像・カツ丼セット

華やかなカツ丼セット。

前日の夜は何も食べていません。軽度の二日酔い。この胃を満足させてくれるのがカツ丼セットなのです。二日酔い→カツ丼セットはもう20年以上になる私のルーティン。

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まずはそばをひと口。

いやいやいや。

待て待て待て。

なんじゃこりゃ? うまっ。エッジのあるそばに程よいコシ。激甘なツユにたっぷりのわさびを溶くとちょうどいい塩梅。強いツユとしっかりとしたそばが見事に融合します。

もり単品は520円ですから手打ちではないでしょう。けど、手打ちっぽさを感じさせるそばです。街場のそば屋のそばとしては上等。

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続いてカツ丼をひと口。

うわっ。

一瞬にして、あるものを思い出しました。富士そばのカツ丼です。

大むら(中央中通り)、そば処 入船志ら井のカツ丼は本格派。一方、更科のカツ丼はどちらかというとジャンク。濃いめのツユ、薄くはあるけど食べ応えのある豚肉、しっとりとした衣。このカツ丼は富士そばっぽい。

いいぞ。これはいい。

ちなみに私は数えきれないほど富士そばのカツ丼を食べてきました。富士そばのカツ丼が大好きです。ですから"富士そばっぽい"は私にとっては最上級の褒め言葉です。

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そば・カツ丼を半分ほど食べ終えた頃合いにご主人がそば湯を持ってきました。そばをすべて食べたら、白濁したそば湯をそば猪口に注ぎ入れます。

先客が帰り、私一人となった店内。おそらくは長く続いているであろうこの店の歴史に想いを馳せようとするのですが、いかんせん店内がすっきりしていて、とっかかりがない。イメージが沸きません。

この飾らなさがむしろ長生きの秘訣なのかもなぁ。そんなことを考えながら、ゆっくりとそば湯を飲み干しました。

「お会計をお願いします」

「1100円です。400円のお返し」

少し話を聞いてみたかったのですが、サバサバお母さんは話を続けさせないオーラを出しますw 仕方ない。質問はひとつだけにしておこう。

「創業はいつ頃でしょう?」

「80年」

どっちだ?

「80年?」

「80年以上。戦前から」

「すごいですねぇ。おいしかったです。ごちそうさまでした」

「ありがとうございます」

ということは、1930年代半ばから1941年の間に創業したということでしょう。ご主人が2代目かな?

かなりのボリュームでした。食後の運動を兼ね、自転車を押して目黒通りを西へ。家に帰って、ネットでいろいろな資料を漁ってみました。

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同じ目黒通り沿いにある創業100年の入船

学芸大学の老舗ベスト5は、

更科はこれらに続く老舗でした。

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1936年(昭和11年)の空中写真。画像転載元/国土地理院:地図・空中写真閲覧サービス

私は更科が創業した当時のことを想像してみます。

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もし1936年に創業していたら、そして創業地と現在地が同じなら、ここに更科が写っています。

東京横浜電鉄(現東急東横線)が開通し、碑文谷駅(現学芸大学駅)が開業したのは1927年(昭和2年)。その後、碑文谷駅は青山師範駅(1936年/昭和11年)、第一師範駅(1943年/昭和18年)、学芸大学駅(1952年/昭和27年)と改称してきたので、更科が創業した当時は青山師範駅でした。

目黒競馬場。画像転載元/smart FLASH:【4月24日の話】目黒競馬場で第1回日本ダービー開催…払戻金は39円
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画像転載元/wikipedia:目黒競馬場

更科のすぐ裏手には目黒競馬場がありました。1907年(明治40年)から1933年(昭和8年)のことです。目黒競馬場が閉場(府中に移転)した直後に、更科は創業しました。

当時、目黒通りは清水交差点付近までしか整備されていませんでした。おそらくは川の一部も残っていました(羅漢寺川・六畝川・入谷川)。

目黒区役所が中目黒から移ってきたのは1936年(昭和11年)。目黒区役所へ行く人、近くの大きな銀行のサラリーマンで、昼は今よりも賑わってたんだろうなぁ。

ところが2003年(平成15年)、目黒区役所は中目黒へと移転しました。隣の大きな銀行は売却され、サラリーマンも少なくなります。最盛期に比べると客足は鈍くなっているかもしれません。

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奥が建設途中のニトリ目黒店

私は半年後のことを想像してみます。

2022年春、ニトリ目黒店が開業。駅からは遠く、人通りの少なかったこの道もニトリ客で賑わいます。この界隈は昼にやっている飲食店がほとんどありませんから、更科へ入っていく人も増えるはず。

若い女の子二人組が更科へ入っていきました。そばを食べます。そして驚くんです。

「え? こんなにおいしいとは予想していなかった」

と。

店を出た二人は顔を見合わせこう言います。

「おいしかったねー」

未来の笑顔を想像して、私も同じく笑みを浮かべるのでした。

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