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豚太郎/とんたろう(武蔵小山)はもつ焼きがおいしい老舗居酒屋。きし麺とラムネをごちそうしてもらいました/平和通りの歴史

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この店構え! いい予感しかしません。

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武蔵小山駅から徒歩5分強。平和通り沿いにある居酒屋・豚太郎(とんたろう)。あとで調べてわかったのですが、昭和38年(1963年)創業だそうです。近所からこの場所に移って45年近く。

※追記:西小山方面に豚゛太郎(どんたろう)という居酒屋があります。もちろん、まったく別の店です。追記以上

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店内は大きなコの字カウンターと小上がり。老舗の割にとてもきれいです。カウンターにはネタケースがあり、その中には串や魚が詰まっています。カウンター上にはおばんざいがいっぱい。これほどおばんざいがあるってことは、いいお店の証拠。これがさばけるほどお客さんが来るってことですから。

レモンサワーを飲みつつ、串を注文しようとしました。すると、カウンター向うの常連さんが「やきとん3本」と言います。部位はどうなってんだろう。そうしたら、後ろのご家族連れも「串3本」。むむむ? なんだかよくわかりませんが、3本で頼むといいのか!? とりあえず私もマネして「やきとん3本お願いします」と言いました。すると、かぶせ気味にお母さんが「タレ? 塩?」。

50年以上に渡ってお店を切り盛りしているお母さん。さすがです。表情も口調も優しいのですが、とにかくキビキビ、シャキシャキ、チャキチャキです。カウンター向うさんが「ビール」と言うと、すかさず「瓶と生がありますけど」。せっかちというのとはまた違うな。条件反射的というか……いや、もはやマシーンだw

それなりに串の注文が入っていますし、お父さんが炭火で丁寧に焼いてらっしゃるようなので、時間がかかりそう。口寂しいのでおばんざいの煮しめを注文しました。

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甘めの味付けでほっこりします。とてもおいしいです。箸が止まりません。あっという間に食べてしまいました。

串が出てくるまでじっくりと店内を観察します。

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大きな魚拓が目立ちます。若い方も来ています。隣のご夫婦は旦那さんだけが先に帰り、奥さまはすだちサワーを飲んでらっしゃいます。カウンターの上はすだちの山w 奥さまはカウンター向うの女性と会話。背後からは小さな女の子の賑やかな声。

子供からご年配まで、客層がとても広い。素敵なお店だなぁ。なーんてことを考えていたら。

「お兄さーん」

ん? 振り返ると、女の子がラムネを差し出しています。

「これあげる、って。言ってごらん」

お母さんが女の子にそう言ってます。

「くれるの? ありがとう」

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ははは。女の子からラムネをもらいましたw

そうこうしている内に焼きとんが来ました。

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左はタン。右はレバー。真ん中はなんだろうなぁ。カシラにしては柔らかい。ああ、ハラミかな。5本で頼むとあと何が出てくるんだろう。

味ですが、正直、期待していませんでした。けど、なかなかどうして。ミディアムレアなレバー、柔らかいタン、甘みたっぷりのハラミ。いいじゃないですか。おいしいです。

串打ちが変わってます。真っ直ぐ刺すのが普通。でも、タンとハラミは縫うように刺しています。へぇ。なんでだろう。

串を食べ終えた頃、ゆっくり飲んでいたレモンサワーも尽きました。ふむ。初回はあっさり目で引き上げよう。次回への楽しみを残しておきたいし。

「お手すきでお会計をお願いします」

「今これ出すから、ちょっと待ってね」

「ああ、ぜんぜんです。ごゆっくり」

鍋で味噌汁のようなものを温めています。それを出し終わったらお会計かな? と思ったら!

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「これ、お待たせしちゃったから」

え? 「今出すから」ってのは俺に対してだったのか。

けんちん汁のような甘い醤油味のダシに平たいきし麺。あああああ。う、うますぎる……。で? なに? 待ったからそのお詫びで? まじですか。こちらとしては、そんなの別に苦じゃなかったのに。嬉しいなぁ。

ご常連のみなさん、ご家族連れに「お先に失礼します」と挨拶し、お母さん、お父さんに「ごちそうさまでした」と言って店を出ました。

はぁ。なんていいお店なんだろう。近くにあれば毎日でも来たい。もっといろいろ食べたいし、もっとお母さんと話したいし、隣のきれいな奥さまとももっと話したかったなぁ。また来なきゃ。

お母さん、きし麺ありがとう。お嬢ちゃん、ラムネありがとうw

SHOP DATA

平和通りの歴史

平和通りという名前は戦後についたのですが(後述)、この通り自体はとても古い歴史があります。

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文化2年(1805年)の地図・目黒六か村絵図には平和通りがもう描かれています。そして円融寺(碑文谷)方面と荏原(旧中原街道)をつなぐ、とても重要な道だったこともよくわかります。

昭和初期、平和通りには富士館という映画館がありました。そこから富士館通りと呼ばれていたそうです。ところが、戦争で空襲にあい、界隈は相当な戦火に見舞われます。そして戦後、平和への祈りを込め、この通りは平和通りと名付けらました。

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余談ですが、日本全国に「平和通り」があります。この界隈では戸越銀座・戸越公園方面にも平和坂(平和坂通り商店会)がありますね。名前の由来は上記と同様であることがほとんどです。

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1936年の航空写真に、当時はなかった補助26号線、補助46号線をプロットしました。

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そしてこれが現在の平和通り。平和通り商店街西部会の西端がどこまでかはよくわかりません。

これでよくわかるのが、新しく敷設された補助26号線、補助46号線によって平和通りが分断されたということです。26号より西、26号と46号の間、46号より東。

46号より東は20mほどしかありません。26号より西は二葉フードセンターを中心としたあたりは賑わっています。そして豚太郎があるのが26号と46号の間。

決して大いに賑わっているという通りではありません。けど、豚太郎、ラーメン屋・楽観、定食屋としても有名な雀荘・すいーとぴーなど、素敵なお店がポツポツとあって面白い一帯です。

ちょいと早めに出て、要所だった平和通りの昔の姿を偲びつつ界隈を散策して汗かいて、それから豚太郎でグイッと。なんてどうですか?