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正来軒(武蔵小山)の激安350円ラーメンは懐かしい味。常連さんたちで賑わう街場の中華料理屋はとても楽しい!/平和通り、補助46号線、26号線の今昔

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武蔵小山駅から徒歩5分弱。駅から見ると都立小山台高等学校の向こう側、補助46号線沿いに正来軒(せいらいけん)という街場の中華料理屋があります。界隈の有名店。ずっと来てみたかったのですが、今回が初訪です。

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テープの貼り方w 電話番号隠れちゃってますw 「しょうらいけん」じゃなく「せいらいけん」。ご主人の名前に由来しているのだとか。

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初めて店頭のメニューを見た時、仰天しました。ラーメン350円! それ以外のメニューもとにかく安い。この時代、この場所で、こんな値段で出しますか。すごい。

けど、正来軒自身はどうやら値段のことは気にしてない模様。だって。

地元の皆様に味で御奉仕する店
中華 正来軒

……。誰が見たって、まずはその安さに驚きます。でも、店は安いことを強調することなく、「味で御奉仕」とあくまでも味にこだわる。素敵。

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店内は赤いL字カウンター9席。ご夫婦でやってらっしゃいます。ラーメンとチャーハンをお願いして、セルフサービスの水を入れ、店内を観察。

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ビール(大)480円、酒280円、焼酎150円というのも強烈だなぁ。ソフトドリンクは100円。

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そこかしこに年季の入った様子がうかがえますが、決して汚いわけじゃない。カウンターも調味料類もとてもキレイ。

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麺はウイングス食品という製麺会社なのか。帰って調べてみましたが、情報がほとんどありませんでした。西大井の会社らしいです。

参考サイト:品川区:ものづくり支援サイト/有限会社ウイングス食品

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基本的にはお父さんが調理をなさいます。けど、出前が入るとお母さんにバトンタッチ。小銭を持って出て行ったお父さんに代わり、お母さんがラーメンを仕上げました。

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350円なのに、分厚いチャーシューもほうれん草も入ってます。上等だ。

まずはスープ。醤油の角が残っています。けど、しょっぱいというほどではない。こういうスープって少なくなったよなぁ。最近はダシや調味料でまろやかにしがち。そして甘めにしがち。こういうのもなんかいいな。

麺は少し堅めに茹でられています。プリプリ。わずかに縮れた麺に醤油の立ったスープ。うん、昔からあった、安心できる懐かしいラーメンだ。おいしい。そして、スープに浸ったチャーシューがまたいい。もともとはあっさり目に作られています。けど、このスープに浸かるとちょうどいい塩梅。豚本来の味わいも残したいいチャーシューです。

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大きめの餃子はニラが多めで、あとはネギとキャベツかな? ひき肉は少量。ジューシーです。下味は薄めなんですが、このラーメンと一緒に食べると、そのままでもいいかもしれません。後ほど来た若者が頼んだチャーハンはあっさり目に見えたので、チャーハン&餃子だったら、酢醤油につけるのがいいかもな。と、どんな組み合わせでも対応可能な餃子です。よくできてるや。

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隣の先輩方3人はご常連。お酒を飲みながら盛り上がってます。

「もやし炒めと玉子焼きとおひたし」(先輩A)

自分でビールの小瓶を開けながら、そう注文する先輩Aはお仲間から社長と呼ばれています。完全につまみモード。

「俺、ワンタン。麺なしね。あと、納豆もらおうかな」(先輩B)

「納豆はお砂糖入れる?」(お母さん)

「うん」

こうやって食べる人いるんだよねぇ。どうも北海道や東北方面ではポピュラーな食べ方らしい。今度ためしてみるか。

「俺は炭酸がだめでさ」(先輩A)

いや、ビール飲んでるじゃんw

「酒は大丈夫なんだよ。焼酎とかビールは。けど、オロナミンCだと一発だね」

こちらの心の声が聞こえているかのような弁解っぷり。つーか、社長、それ炭酸関係ないじゃん。オロナミンCの成分が合わないんだよw

「中華丼食べようかな。けど、ここのはウズラの卵入ってないからなぁ」(先輩C)

「子供のようなことを言うのね(笑)」(お母さん)

「いや、中華丼と言ったらウズラの卵でしょう」

まあ、気持ちはわからなくないw

「ウズラの卵は3個入っててほしいよなぁ。中華丼といえば3個なんだよ」

個数にまでこだわりゃしないけどw ニヤけた私と先輩Cの目が合いました。

「お兄さんもそう思わない?」

「そうですかねぇ(笑)」

先輩にも店にも肩入れしない返しをしておきましたw

小さな街場の中華料理屋はこういうのが楽しいなぁ。昼から飲めてさ、こんな安くて、チャーミングなお母さんがいて、ここに来りゃ仲間がいて。素敵な空間だ。

お会計をしてもらい、お母さんに聞いてみました。

「こちらはいつ頃からやってらっしゃるんですか?」

「ここに移って来てからは20年、あっちで11年です」

なーるほど。「あっち」がどこかはまったくわかりませんが、26号線もしくは46号線の整備に伴った移転なのかな。

※その後、お店の歴史は38年くらいとの情報もありました

「お兄さん、今度来た時は私が中入ってるから。また来てよね」(先輩C)

「ははは。それは楽しみ……あ、いや、楽しみと言っちゃ語弊があるな。またよろしくお願いします(笑) ごちそうさまでした」

お父さんとお母さんにはまだまだ続けて頂きたいですからね。滑った口を慌てて修正しておきましたw

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補助46号線(左の太い道路)と平和通り(右手へ伸びる通り)が交差する三角地帯。正来軒は小島に取り残された、ひなびた古い店ではありませんでした。多くの人に必要とされ、あえて島へ移って来た今もなお元気な老舗です。そしてこれからもまだまだ、界隈の方々のオアシスとして続いていくことでしょう。

SHOP DATA

平和通りと補助46号線、補助26号線。寿会と八光商店街

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三角地帯の東端にある三叉路。電柱に「平和通り」という記載があるのはここまで。ですから、一応、ここが平和通りの東端と言えるでしょう。その先も平和通りと言うのかどうかはよくわかりません。

後述しますが、ここが目黒区と品川区の区境で、少なくとも目黒区は電柱に「平和通り」と記しています。品川区は単にそう記していないだけなのか、あるいはこの先は昔から平和通りとされていなかったのか……。行政区画に基づく呼称と地域住民の慣習による呼称は必ずしも一致しないので、平和通りがどこまでかはよくわかりません。ここでは「平和通り」の最終記載がある上述の地点を東端とします。

商店街という視点でもう少し詳しく書くと、こんな感じ。

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写真左は正来軒の裏口です。右手と左手で街灯が違います。右手は寿会、左手は八光会商店街の街灯です。街灯があるからと言って、そこが絶対にその商店街に属しているというわけでもないのですが、おおよそこんな風に商店街がわかれているようです。

なお、画像中の「八光会商店街」の「商」の字に重なっている電柱、ここが「平和通り」という記載のある最後の電柱です。

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区境をマップに入れてみました。このように八光会商店街は区をまたいでいます。なぜこんな複雑なことになっているのでしょう。

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昭和11年撮影。黒い点線の帯が現・補助26号線。出典元/とうよこ沿線:昭和初期~13年、武蔵小山の情景

こちらは昭和11年の同場所。拡張されるずっと以前は、補助46号線にあたる通りはそれほど広くありませんでした。そして、当時はまだ区はありません。あくまでも想像ですが、のちに平和通りと呼ばれる通りの北側(正来軒側)・南側(小山台高校側)で商店街らしきものがわかれていたんでしょうね。

ところが、補助46号線がドーンと通ります。平和通りが分断され、「なぜ寿会があっちとこっちに?」と見えるようになってしまった。さらに、区ができて、ここが区境になった。「なぜ八光会商店街は目黒区にも侵入して来てるんだ?」と思えますが、商店の区分けもしくは商店街は東京の区ができる前からあったというわけです。

通りと商店街は必ずしも一致してないし、区と商店街がキレイに対応しているというわけでもない、ということですね。この辺りの実情は当事者に話を聞かないとよくわかりません。

学芸大学(あるいは武蔵小山、西小山、祐天寺)周辺の通り名&商店街マップ~通り名、商店街名を知ると街が楽しくなる!

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さて、平和通りに話を戻します。補助46号線が通っている道は昔からあって拡張され、補助26号線(モノクロ写真の点線の帯部分)は新たに敷設されました。結果、平和通りは4つに分かれたと言っていいでしょう。円融寺通りから現在の平和通り西部会までがひとつ。そこから補助26号線の目黒本町五丁目交差点まで(いわゆる平和通り商店街)。そして、補助26号線と補助46号線の間の区間と補助46号線以東(両者併せて寿会)。

※平和通り西部会の西端はよくわかりません(目黒本町郵便局の筋あたり?)。寿会の西端も不明です(楽観のあたり?)。

こう見てみますと、昔から比べれば人は減っているかもしれませんが、それでも平和通り商店街が現在もあれだけ賑わっているというのは奇跡的です。幹線道路が新設・拡張されると付近の商店街は廃れてしまいがちなので。

なお、平和通りという名前は戦後につけられました。空襲で焼けてしまったこの界隈。商店の店主たちが平和への願いをこめて「平和通り」と名づけたそうです。ちなみに、戦前はここにあった映画館の名前から「富士館通り」と呼ばれていたのだとか。

参考サイト/目黒区:目黒のみち 平和通り

それにしても、この平和通りが老舗中華料理屋に挟まれてるってのがね。なんかね。面白いねw