一応、寿司屋ではあるのですが、普通の寿司屋とはちょっと違う。和食屋? そう言ってしまうのもなんだか違う。けど、とにかくまあうまい。驚かされっぱなし。今回はそんなお店です。
学芸大学駅から徒歩8分。西口商店街を抜け駒沢通りを渡り、野沢方面へと向かうバス通り沿い、水車橋の手前にある松野。
店主は松野友喜さん。父親は「料理の鉄人」に出演したこともある松葉寿し(横浜市保土ヶ谷区)の主人・故松野義一さん(~2012年)。父親の店でキャリアを開始し、雷友(関内)をオープンさせ、Sake no Hana(ロンドン)で総料理長を務め、帰国したのちYOKOHAMA MATSUNO(センター北)を開店。2018年2月に松野として学芸大学に移転してきました。
シックな店内は松野さんがデザイン。カウンターのほか個室もあります。
麦焼酎。連れて来て頂いた常連の方・Yさんが頼んでボトルを入れてもらったのかな。いつも麦焼酎飲んでるしw 底が丸みを帯びたグラス。おしゃれ。
「いらっしゃいませ」
「はじめまして。よろしくお願いします」
「今日はちょっとつまむくらいでいいわよ」
このライブ感。
先付はしらすのさつま揚げ、エビのサラダ仕立て、ヒラメの南蛮漬け、最中(もなか)。以下もそうですが、正式名称は不明です。また、ベロンベロンになったので記憶も曖昧w ということをお知りおき下さい。ただ、味の記憶だけは確かです。
香ばしさのあるさつま揚げはもちろん自家製。サラダに使われているドレッシングはイタリアンドレッシング風なんですが、自家製のタレをいろいろ混ぜ合わせて作っています。締まったヒラメはふくよか。
最中にはマスカルポーネが詰められています。具材はホオズキと何だったかな。おいしいのはもちろん食感が楽しい一品です。
「刺身は基本的に盛らないんです」
そう言って背後の箱からネタを出し切り分けて行く店主。私と同い年ということが判明しました。
「同い年ですか。気分が楽になりましたw」
なんかね。あるよね。わかるw
熟成させたヒラメ、エンガワ。淡泊な魚ではありますが、熟成させているせいか身がキュッと締まり、うまみもギュッと詰まってます。
全体はこう。自家製ポン酢もまあうまい。
とてつもなく立派なタコ。絞っているのはフィンガーライム。適度な食感を残す包丁の入れ具合で、コリッ、プリッ、プツッと口内が楽しい。
これまた立派なカワハギ。
白身と肝とほほ肉。
ほほ肉はエラの下あたりの部位。プリッとしてて濃厚。こういう食べ方をしたのは初めてかも。うまいなぁ。
そして「盛らない」という真意もわかってきました。一品一品が料理になっている。出したら時間を置かずにすぐ食べてほしい。そういうネタの仕込み方、調理の仕方をしている。だから盛らない。という意味もあるんだろうな。個室だとまた別でしょうけど。
きれいなほっき貝。
脂の乗ったイワシ。
クジラ、マグロの赤身、左は何だったかな。ほほ? 赤身がキュッと締まってます。包丁は入っていますが、ほほ(?)には筋があります。けど、舌に触って嫌なものではなく、食感のバリエーションを生み出しています。いい仕事だなぁ。
「私、からすみ食べられないんだけど、これは食べられる。おいしいよねぇ」(Yさん)
「最初、姐さん来た時、からすみ食えないって言うんですよ。いいからこれ食ってみろとw」(松野さん)
自家製のからすみ。干したものではなく、何かの床(とこ)に漬けたもの。何だっけ? ぶ厚くて、ねっとり濃厚。チーズとの組み合わせも面白い。まじやばいな。
相当に高くなっているというウニ。まったりコクがあります。
そりゃこうなりますわね。どうしても。もちろん日本酒のラインアップは日によって違うと思います。
日高見 弥助 芳醇辛口 純米吟醸(平孝酒造・宮城県)。甘みもあるのですが、しっかり切れる。からすみ、うにに合わせるとそれはそれはもう。この酒器も素敵。
トリュフバターで焼いた白子(たら)。
こんな風に遊んでみたり。白子、トリュフ、ウニ。贅沢。
大きなサンマ。
「魚はきれいに焼いたっておいしくないんですよ」
もちろん見た目はきれい。けど、そういうことじゃないんだろうな。大胆さが肝要なんだよきっと。
こんな風に骨を抜くのか。今度やってみよう。
パリッと香ばしく焼き上がった皮、身の甘み、わずかな苦味、全体をまとめる程よい塩味(えんみ)。醤油なんていらない。すだちを絞った鬼おろしだけで十分。焼き魚も立派な料理なんだなぁ。
きゅうりのたたき。
「こんなの寿司屋で出すような料理じゃないんですけどw ウチはお新香を置かないので、お新香のようなものが欲しいと言う方にはこれをお出ししてます。雑ですが、酒のつまみにはこういうのがいいですよね」
これもそう。料理は時として雑さがおいしさを生み出します。丁寧にトマトソースが塗られ、美しくモッツァレラが配されたマルゲリータなんてうまくない。
「このタレは何かダシが使われてますよね」
「鶏ガラです。これをたくさん作っておいて、いろいろな料理に使うんです」
単純に見えるけど、このタレの塩梅は絶妙。
名物料理の内のひとつ、アジフライ。
「寿司屋がアジフライというのも…w 刺身用のアジを使ってます。神経締めです。今日は小さめですが、大きければ好みのサイズを聞いて揚げるんです」
自家製タルタル、自家製ソースが添えられます。
「このタルタルを持って帰りたいって人がいるので、卵を使ってないんです。日持ちさせるために。"卵にかけるためのタルタル"と呼んでます」
皮を剥いで揚げられたアジフライはふっくら、パリッ。そして恐ろしくうまいタルタルとソース。
「落ち着く味じゃないですか? 家で食べるような」
落ち着く?
「いや、落ち着きませんよ。それに家でこんなのできませんって」
これまでも、これからもそう。どの料理にも何かひとつ隠し玉を仕込んでる。もしかしたら、気付かず普通に「おいしいね」と言わせてしまうかもしれない。だけど、私は騙されんぞw これらにいかほどの手がかけられているか、どれほど入念に素材が組み合わされているか、私は見逃さない。見逃したくない。だから落ち着いてなんていられない。
「それぞれの料理に驚きがあって、このソースだって相当に手が込んでるのはよくわかります。発見の連続で落ち着いていられません」
「そうですかw とにかくお客さんに楽しんでもらいたいんですよ」
楽しんでもらいたい? 私はいちいちつっかかる。
「いや、ご自身が楽しんでるんでしょ?w」
「ははは。そうですね。私が楽しんでないと、お客さんも楽しめないですしね」
実際、店主はどんどんノッてきます。どんどん楽しそうになっていく。私は楽しみながらも舌の刃(やいば)をギンギンに研ぐ。刺してきたら刺し返すために。
イカスミをまとった酢飯。
「そのタルタルを乗せてみて下さい。おいしいですよ」
いやあ。うまい。そして、芳醇な香りがかすかに鼻腔を抜けて行くのを逃しません。
「ん? これにもトリュフを使ってますね。あとなんだろう」
「○○とか○○とかを」
まあ、これから食べる方の楽しみとして書かない方がいいか。というのはウソ。単に失念しただけw
「米を伸ばしたせんべいです。本当はアイスクリームに添えて出すデザートなんですが、姐さんはこれをつまみにするからw」
「米だけですか?」
「はい。つなぎは一切使ってません。特製の醤油を塗ってます」
飾り用の米(最中の下に敷かれていた米とか?)がもったいないから、どうにかできないものかといろいろ思案してできたメニューだそう。揚げる温度が決まってて、その温度じゃないとバラバラになってしまうのだとか。
残っていたツマを自分でサラダにし、先のタルタルをせんべいにつけ、ゆず胡椒を肴にしていると。
「そんなのをつまみにするなら、これちょっと食べてみて下さい」
「つまみにしてるというよりも、もったいないから残したくないってだけなんですけどねw」
ササッとその場で和えた野菜のマリネのようなもの。
「本当はカキに添えるんですが」
「大葉と醤油? パクチーにしたらサルサですね。この甘みは?」
「ハチミツです」
「最近、よく思うんです。料理って甘みがとても重要だなぁと」
「甘みをどう出すか、ですね。いやぁ。楽しいなぁ。じゃあ、これもぜひ。貝柱のソースです」
えげつないうまみ。しかも多重的。甘みの向こうに香ばしさのようなものが霞んで見える。
「貝柱だけじゃないですよね。このうまみは……うにのような蟹ミソのような」
「えびのミソです。こういうソースやタレを作っておいて、料理に合わせてアレンジを加えて使うんです」
「さっきの塩ダレもそうだし、発想に中華っぽさを感じます。醤(じゃん)と考え方が似てる」
毛蟹をごま油とブランデーで炒める料理が名物だそう。これも中華料理/中国料理っぽい。かと思うと、和風サルサはエスニックなニュアンス。イカ墨の酢飯はフレンチでもおかしくない。
「牛を出す日もあります。ウチではノリに巻くんです。普通じゃつまらないから、いろいろ考えるんですよね。ある日、お客さんが食材を持ち込んで、『これでなんか』と言われたこともありましたw 『10分待って』と考えて……。そういうのが好きなんです」
私はひとつ後悔してます。このソースが出てきた時、「バゲットあります?」とか無茶ぶりをしておけばよかった。おそらくバゲットはない。だとするなら、この店主は代わりに何を出して来ただろう。それを見届けておけばよかった……。
「これどう? おいしいでしょ?」
「そう来たか。じゃあこんなのできる?」
「オッケー。ほら、こうしてみたよ」
「おっと。これは何だろう」
もちろん、基本のコース料理はあるのですが、こうして店主と客が会話をしながらコースを組み立てていく。松野の醍醐味はここなんでしょうね。
ある意味でゲーム。料理を介して、店と客がゲームに興じる。時に遊戯性はなくなり勝負となることもあるでしょうけど。
「時間が経って、もう酢飯がダメになっちゃったんですけど、ぜひ食べてみて下さい」
店主は大きく優雅に、そして鋭く舞います。これは単なるパフォーマンスじゃない。ちゃんとした職人にはリズムがある。経験によって体得した、みずからの能力を最大限に発揮するためのリズム。おいしさを生み出すリズム。
「どうですか?」
くっ。ここで勝負を挑んできたか。握らない予定だったのに、あえてイカを1貫。
「塩にすだちじゃ普通なので、醤油を使ってみたかったんです。けど、普通の醤油ではこうはできないので、これ用に醤油を作ってワサビ、醤油、すだちを合わせてみました」
イカにほどこされた丁寧な仕事。大きな舞だったため、しっかりと握られているかと思いきや、ほろりと柔らかく形成されたシャリ。研いでおいた刃を鞘から抜きます。
これが塩だったら、おそらく通り抜けて行くような爽やかな味わいだったはず。けど、特製の醤油はイカの味わいに深みを与えつつ全体をまとめ上げ、おいしさは立ち止まる。
「この醤油がワサビとすだちをうまくつなげています」
「そうなんです。どれかひとつ欠けてもだめなんです。楽しいなぁ。じゃあこれもぜひ」
今度はタイの南蛮漬け。先付のヒラメは締まってましたが、タイはホロリと柔らかい。これは魚種による差じゃないでしょう。
「ヒラメは冷やしていたので。これは冷やしてません」
料理談議に花をさかせつつ、他にもいろいろな醤油やソースを味見。
「この醤油は何か動物系のものを使ってますよね? 脂を感じます」
「鶏です。じゃあ、これはわかりますか?」
「まろやかですね。甘みを感じるんですが、何だろう。わからないなぁ」
「オレンジです」
「うーん、言われてようやくそうかなぁと感じるくらいです」
「そのままだとわからないかもしれませんが、料理に使うと柑橘の香りが立って来るんです。マグロの漬け用なんですが……」
ここでマグロを2切れ。
「漬けではないんですけど、それで食べてみて下さい」
マグロの赤身には和からしがつけられていました。
「島寿司だ。なるほど。しっかり醤油をつけると、かすかに爽やかさを感じます」
引き出しがとても多い。ロンドンへ渡った経験も活きているのでしょう。ただ、決して奇をてらってるわけじゃない。パッと見はいずれもシンプルなんですが、食べると「おや?」「おお!」と感じさせる。
「冒険してるよね」(Yさん)
「そうですね。冒険と言っても無茶はしてない。大きく外れたらそれは冒険じゃなくて無謀。発想に驚かされますが、突拍子ないことをしてるわけじゃなく、すべてが理にかなってるとも感じます」(筆者)
「もしかしたら料理に対する考え方が似てるかもしれませんねw」(店主)
うれしいな。プロにそんなことを言ってもらえて。
Yさんは先に帰り、私一人が残って、結局、1時半?3時半?くらいまで飲んじゃったかな。時間すら覚えてない。ベロッベロw もちろんまったくレベルは違うのだけど、料理が好きというのは同じ。話してると、とにかくなんだか楽しくて。酔った勢いで随分と生意気なことを偉そうに言ってたなぁ。思い返すと恥ずかしいw
目の前でササッと切り紙。笹切りです。見事。しっかりとした基礎があるからこそ発想を飛ばせる。
「敷居が高いと思われてるのか、なかなか地元の方に来て頂けません。こんな人間ですし、かしこまるような店でもない。一度来てもらえればわかって頂けると思うんですが……。帰りにちょっと一杯飲んで、そんな使い方をしてもらっても構わないんですけどね」
Yさんは松野に何度も来ていて勝手がわかってますから、うまいこと料理を選んでくれました。けど、どう使っても大丈夫です。寿司だけをお願いしてもいいでしょうし、ちょいとつまみながら飲むでもいいし、「お任せで」「○○円で適当に」でもきっといいでしょう。初回は事前にどういう感じになるのか、どういう感じにしたいか相談した方がいいかもしれません。
料理人。MATSUNO STYLE。なるほど確かに。寿司でもあり、和食でもあるんだけど、"松野"というスタイルなのか。
一品一品に店の思想が見て取れる。細部にまでしっかりとこだわりが詰まってる。ライブ感がある。店主とのやり取りも楽しい。真摯と同居する遊び心。発見と驚き――ぜひ一度、松野でおいしい料理と戯れてみて下さい。刺激的な夜になるはずです。