駒沢大学駅から徒歩15分弱。三軒茶屋駅、学芸大学駅から徒歩20分。環状七号線・龍雲寺交差点にあるラーメン屋・せたが屋。
夜は魚介系と動物系のこってり濃厚ダブルスープのせたが屋ですが、昼は「ひるがお」というさっぱり塩ラーメンの店になります。いわゆる"二毛作"。休日ともなれば行列ができる大人気店です。2016年に吉野家ホールディングス傘下になったというニュースが大きな話題となりました。
メニューはこんな感じ。店名を冠したメニューはどうもコスパが悪い気がします。だったら、デフォのらーめん+餃子がおすすめ。せたが屋らーめん1030円より、らーめん+餃子=1120円のほうがお得な感じしません?w
店内はカウンターとテーブル席。去年だったか一昨年だったかに改装して、テーブル席ができました。
何度も来てますが、その日に頼んだのはこちら。
海老入りわんたん麺。スープの濃度は以前よりも薄く、サラサラになったような気がします。昔はもっとドロッとしていたような。けど、相変わらず魚介の風味は強く、こってり濃厚です。
もっとガッツリした魚郎ラーメンもおいしいのですが、私は基本的にはスタンダードを選びます。魚郎ラーメンを食べるんだったら、すぐ近くの系列店・ふくもりに行くかな。
つけ麺はモチッとした平打ち麺が特徴。かすかな酸味を感じさせるつけ汁は魚介がしっかり香ります。
麺は愛知県産小麦・絹あかり100%の自社製麺。関連会社・コナノチカラ製麺所の麺です。せたが屋のスープに最適な麺を作ろうと、2015年に設立されました。
パリッとした高知屋台餃子もうまいんだな。
余談ですが、一人じゃないですよ。以上は二人で頼みました。そりゃそうでしょw
休日ともなれば、昼も夜もいまだに行列ができています。遠方からも客が押し寄せる。これだけ支持され続けているということは、それだけせたが屋のラーメンに魅力があるということでしょう。
今となっては当たり前となった濃厚魚介系ラーメンですが、その源流は飽きられることなく、いまだ健在。私はどちらかというとふくもり派で、食べた回数もふくもりの方が断然多いのですが、久しぶりにせたが屋を食べ、やっぱすごいなぁと改めてうならされました。
環七ラーメン戦争とせたが屋の功績
1980年代、関東で豚骨ラーメンブームが巻き起こりました。その一翼を担ったのが環状七号線沿い、新代田にあったなんでんかんでん(1987年創業)。環七にはすでに土佐っ子という人気店もあり、1988年創業の野方ホープなども加わって、"環七ラーメン戦争"が勃発します。
当時の日本はバブル(1986年~1991年)の真っただ中。タクシーや自分の車で環七沿いのラーメン屋へ向かうというのが当たり前のことでした。もちろん、いけないことではあるのですが、まだ意識が低かったせいもあり、飲酒運転・路駐もザラ。
ところが、バブルがはじけ、また、東名高速飲酒運転事故(1999年)をきっかけに飲酒運転の取り締まりが厳しくなり、環七への客足は鈍化。さらに、1994年に新横浜ラーメン博物館が開館、1996年には麺屋武蔵、青葉、くじら軒といった個性的なラーメン店が相次ぎ出店し、ラーメン業界は百花繚乱の様相を呈します。そんなこともあって、環七ラーメンブームは下火となりました。
せたが屋が誕生したのはまさにその頃です。2000年、ラーメン戦争が終結した環七で創業しました。
せたが屋の創業者は前島司氏。せたが屋が登場した頃から、ラーメン業界では"人"がフューチャーされるようになります。ご当地ラーメンをもじって、"ご当人ラーメン"とも呼ばれていました。たとえば麺屋武蔵(1996年~)の山田雄氏、なんつっ亭(1997年~)の古谷一郎氏、中村屋(1999年~)の中村栄利氏、そしてせたが屋の前島司氏。個性的な店主が作り出す個性的なラーメンが続々と登場します。
ここで確立されたと言ってもいいのがWスープです。豚骨や鶏ガラなどの動物系スープと、節や煮干しなどの魚介スープを合わせた濃厚なスープが人気を博しました。青葉がその先駆者と言われているのですが、魚介を色濃く出したせたが屋もまた、Wスープ、魚介系ラーメンの新たな潮流に乗って、業界をけん引します。
そんなせたが屋がラーメン界に残した功績は大きくふたつ。まず、昼夜あるいは曜日によってラーメンを変えるという"二毛作"を始めたということ。せたが屋が初めてというわけではないのでしょうけど、せたが屋がひるがおを開始してから、二毛作のラーメン店が増えました。
もうひとつはラーメンを世界に進出させたということです。2006年にニューヨークに出店して以降、日本ラーメンの認知度、人気が海外で高まり、他店もこぞって海外進出を果たすようになりました。
また、私たち学芸大学住人にとっては、麺処 びぎ屋というとてつもないラーメン屋を生み出したのがせたが屋という点も大きなことでしょう。麺処 びぎ屋店主・長良貴俊氏は前島司氏に師事し、せたが屋 本店店長を任され、せたが屋 ニューヨーク店、ラーメンゼロの立ち上げ時には店長となり、その後、独立。2009年7月に麺処 びぎ屋をオープンさせました。せたが屋があったからこそ、びぎ屋のおいしいラーメンが食べられる、と言えなくもない。
ところで、2000年頃から現在まで、環七の上馬交差点~駒沢陸橋の間(東京都世田谷区野沢2、3、4丁目)で営業していた(営業している)ラーメン屋は次の通りです。
- よってこや 駒沢環七店
- つけ麺や 穣
- 高味
- 燎原(りょうげん)
- ハップンラーメン 順基
- 赤坂ラーメン 駒沢店
- 大勝軒 環七野沢店
- まるきんラーメン 上馬店
- 麺くらい
- 豚野郎
- 博多屋台ラーメン 一竜
- 珍々ラーメン
- ふくもり
- せたが屋
- まっち棒
これだけあったのに、現在でも営業しているのはまるきんラーメン、せたが屋、ふくもりの3軒だけ。しかも内2軒は同系列。環七でラーメン屋をやる難しさを見て取ることもできますし、あるいはせたが屋、ふくもりのすごさを改めて思い知ることができる結果でもあるでしょう。
もしまだせたが屋に行ったことがないならぜひ。ラーメンの歴史に確実に足跡を残している店。環七ラーメン文化をかろうじて、でも力強く継承している店。近くに住んでるなら、一度は行ってみないとねw