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中華料理 三友軒 目黒店(西小山・大岡山・洗足)には三友軒と三友のれん会の歴史が詰まっていた!そんな街場の中華料理屋で食べたラーメン・餃子はこの上なくオーソドックスでしたw

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洗足駅から徒歩10分弱。西小山駅、大岡山駅、北千束駅から15分弱。補助46号線沿いと言っても通じづらいか。住所は目黒区南です。学芸大学住人視点で言えば、碑文谷八幡宮のちょっと向こう。詳しい場所は後ほど紹介するとして、街場の中華料理屋・中華料理 三友軒 目黒店。

とても気になっていて、絶対いつか行こうと思っていたのですが、今回行くことができて、すごい事実がいろいろと判明しました。行ってよかった。

まず扉。

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「三友軒」は以前、登録商標でした。現在は商標登録されてないと思われます(商標検索しても出てこない)。デザインがいいんですよねぇ。「三友」を「軒」で囲んでる。うまいなぁ。ちなみに読み方は「さんゆうけん」です。

これがあるのはずっと以前から気づいていました。しかし、今回、店頭のショーケースを改めて見てみると……。

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うわぁ。ここまでは見てなかった。「三友のれん会」。まじか。やはり三友軒はつながってたんだ。はやる気持ちを抑えつつ、扉を開けます。

「いらっしゃいませ」

座ってテレビを見ていたお父さん、お母さんが立ち上がります。

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なんか不思議な雰囲気。カウンターがなくテーブル席のみだからかと思ったのですが、よく考えてみれば二葉もそうだから珍しいことではありません。じゃあ、なんだろう。テーブルや椅子が喫茶店ぽいからかな。金曜日が定休日というのは珍しい。

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それほど迷わず、ラーメンと餃子をお願いしました。お母さんが調理を担当。小窓からその様子が少し見えるのが楽しい。そして……。

店内を観察していると、とんでもないものを見つけてしまいました。この件はまた後ほど。とりあえず料理へと話を進めましょう。

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見た目も味わいもシンプルなラーメン。ナルト、ワカメ、メンマ、チャーシューという並びはよくありがちですが、三友軒 駒沢店と同じ布陣。池ノ上も同じか。

ワカメの磯の香りがきいています。麺は柔らかめ。スープはマイルドな醤油。オーソドックス。

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餃子は全体的にしっとり。味付けは薄めなので、酢・醤油・ラー油をたっぷりつけました。

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すべてを食べ終えると3つの三友軒が揃い踏み。ふふ。いいね。

足を悪くしてらっしゃるお母さんに出て来てもらうのはあれなので、器、皿、コップを厨房へと運びます。

「あら、ごめんなさい」

「いえいえ」

「900円です。はい、じゃあ100円のお釣り」

「その鏡に書かれてるのって」

「もう今はぜんぜんないわよ」

「三友軒がこれだけあったということですよね」

「まだ残ってるのは……」

「駒沢大学にはありますよね。あと深沢もあるか」

「よくご存じね」

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壁には大きな鏡が掛けられているのですが、そこには三友軒の支店名がズラリと並んでいたのです。これはやばい。三友軒の謎を一気に解決してくれる、歴史の証人たるアイテムです。

店名を書き出してみます。

  • 三宿店
  • 深沢店
  • 日向店
  • 松陰神社店
  • 上大岡店
  • 駒沢店
  • 仲店店
  • 中原店
  • 山下店
  • 幕張店
  • 中目黒店
  • 経堂店
  • 本店 平原製麺
  • 川崎 平原製麺
  • 神田製麺
  • 藤野製麺

すごいリストだ。まさかここで、こんなものと出会えるとは。

駒沢店、深沢店はまだあります。他はおそらくありません。また、池ノ上にも「三友軒」があるのですが、この中のどれかなのか、あるいはここには載っていないのかはわかりません。もちろん、これがすべてだったというわけでもないでしょう。

「この中で本店というか、本部みたいなのはあったんですか?」

「平原製麺がやってたの。もう今はないけど」

製麺会社がラーメン屋を運営するというパターンは決して珍しくありません。たとえば、武蔵小山の老舗製麺会社・南京軒食品(マルナンフード)は「元祖札幌や」というラーメン屋などをチェーン展開しています。

平原製麺の本店はどこにあったのかも不明です。相当昔になくなっているのだと思います。川崎の平原製麺(川崎市中原区小杉御殿町2)は少なくとも2015年までは建物はありました。現在は取り壊されてありません。今でもどこかで営業しているのかどうかは不明です。

藤野製麺(世田谷区砧3)も現在どうなっているかは不明です。三友軒 駒沢店では藤野製麺の麺を使っていた(使っている?)ようですが。

ひとつ興味深いのは、三友軒 駒沢店をやってらっしゃるご家族が平原姓ということ。偶然なのか、何か関係があるのか……。

話を戻しましょう。

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「表に三友のれん会ってありましたが、のれん会は今でもあるんですか?」

「いえいえ。もう」

「じゃあ、特に交流があるというわけでも?」

「それぞれがやってるだけよ。みんな年取ってやめちゃって」

「こちらは何店って言ってたんですか?」

「目黒店」

当たり前ですが、あの鏡に「目黒店」という記載はありません。他の姉妹店から目黒店に贈られたものなのでw

「どれくらいになるんですか?」

「ここでは……40年近く。ここに来る前は弦巻のほうにいたの。十何年かな。上町と桜新町の間くらい。だから、全部あわせると50年くらいになるわね。もう、そんなにやってるだなんて、恥ずかしい(笑)」

手で顔を覆い恥ずかしがるお母さん。

「恥ずかしいだなんて。すごいじゃないですか」

「これしかやってないのよ。これしかできないし。けど、もうそろそろね」

「いやいや、あと10年、20年と」

「そんなっ(笑)」

おちゃめでかわいいお母さんです。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「ありがとうございます」

ゆっくりと開く自動扉をくぐり、ゆっくりと自転車をこぎ、補助46号線を東へ。

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冒頭で軽く触れた通り、三友軒 目黒店があるのは補助46号線沿いです。補助46号線は山手通りのかむろ坂下から、武蔵小山、西小山、大岡山、自由が丘、等々力とつながる計画道路。

計画は遅れに遅れていますが、補助46号線の整備は徐々に進んでいます。この界隈であれば、老舗果物店・フルーツパーラーたなかも道路の拡張工事に伴い、建物が取り壊されるそうです(※2019年に取り壊されました)。

三友軒の歴史が詰まった三友軒 目黒店。「なんとか少しでも長く続いてくれるといいですね」と言いたくもなるのですが、まあ、駒沢、深沢、池ノ上と、これだけ長く続いてるのですから、三友軒はたくましい。無責任なセンチメンタリズムを漏らすのは僭越というものでしょう。私はただ、まだ訪れてない深沢、池ノ上を目指すのみです。

SHOP DATA

三友軒をまとめてみる

時期は不明ですが、平原製麺という製麺会社が三友軒というラーメン屋を始め、フランチャイズ的に店舗数を増やしていきました。駒沢店が創業70年ですから、三友軒自体の歴史はそれ以上に長いと思われます。

三宿、三軒茶屋(仲店)、松陰神社など、三友軒は世田谷地区を中心に少なくとも13店舗はありました。そして、三友のれん会というのれん会もありました。それなりに交流があったはずです。

時代が進み、店舗数は減り、時期は不明ですが、本体たる平原製麺がなくなりました。三友のれん会は形骸化し、相互の交流はなくなり、各店舗は独自に店舗を運営していくこととなります。

2017年現在、三友軒は4軒あります。駒沢店深沢店、目黒店、池ノ上店。おそらくはこれが古い順。各店が積極的に「○○店」と名乗っているかどうかはさて置き。

各店は独自に運営されていますが、メニューによっては似ていたりします。三友軒というグループがあったということを感じさせてくれる光景でしょう。