学芸大学駅から徒歩15分。世田谷観音通り(旧明薬通り)と下馬通りの交差点すぐ近く、東京学芸大学附属高等学校の正門近くに好乃鮨(よしのずし)という寿司屋があります。昭和32年創業の老舗です。
前々から気になっていて、たまたま通りかかった際、よく見てみると……。
あれ? この白い方のメニューに初めて気づきました。寿司ランチが800円とは安い。入ってみましょう。
教科書に出てきそうなキレイなにぎり寿司
扉を開けて一瞬、うおっとなります。
こんな造りになってたのか。
店内はカウンター席6席ほどと小上がりに4人掛けテーブルが実質1つ。もうひとつは物置きと化していて、団体さんが来たら片付けるのでしょう。
店内のメニューを見ると、「まんぷくすし」(1000円)というのもあります。
「まんぷくすしというのは、どういう感じなんですか?」
「量が多いんです」
「それはにぎりもちらしもですか?」
「はい、ちらしだと大盛りになります」
「なるほど。じゃあ、まんぷくすしを握りでお願いします」
「シャリの大きさはどうしましょう」
へぇ。そんなことも聞いてくれるんだ。最近は小さめを好む人が多いのかな。大きめにってのもありなのか?w
「普通でお願いします」
「はい」
800円という値段に惹かれてやって来たのに、結局、1000円。ま、いっか。
お母さんがお茶を持ってきました。
わお。金粉入り。通年こうなのか、正月から金粉が切れるまでこうなのか。なんだか縁起がいいや。
お隣のマダム二人組は、どうやらその辺りで偶然バッタリ出くわして、じゃあ一緒にランチでもってことで来たようです。ご近所にお住まいで、ここにもちょくちょく来ている様子。まあ、そりゃそうだ。こういう寿司屋は近隣の常連がほとんどだと思います。
私のほうがあとに入ったわけですから、お二人のあとに寿司が出てくるのが当然。けど、どうも私の方を先に用意しているようです。まあ、こっちを先にやっちゃったほうが効率いいんだろうな。大将がお母さんに「旦那(私のこと)のほうを先に出すから」と告げます。お母さんは一人分のサラダと椀を用意。その様子を見ていたマダムたちが大将にこう言います。
「いいのよ、私たちはおしゃべりしてるから、ゆっくりね」
優しいな。
店内を観察しつつ、でも、一番視線を送るのは大将の手元。ギュッとしっかり目に握るのは、まとめて出すからでしょう。一貫ずつ握っては食べ、ならフワリと握るのもいいんでしょうけど、下駄に盛るならしっかりのほうがいい。フワッと握ったら、後半に食べる握りは崩れてしまいます。あるいはネタとのバランスなども考えられているのかもしれません。
サラダ、吸物、握りがやってきました。
ひゃあ。キレイ。なんていうのかな、芸術的な美しさというよりも、教科書的なキレイさ。図鑑に載っていたり、ショーウィンドウに飾られているような整い方です。
うん、おいしい。ネタもシャリもしっかりしているから、食べごたえもある。特に真ん中のブリ(?)。脂が乗りつつ、コリっとした食感で、味わいも濃厚。これだったらしっかり握られたシャリの方がいいね。うまいなぁ。ピンと冷えたサラダも、熱々の吸物もとてもおいしい。
2/3ほどを食べ終える頃、ちょうど大将が私の前にやって来ました。いいタイミング。話をうかがってみます。
「こちらはどれくらいになるんですか?」
「50年、いや、もう60年くらいかしらねぇ」(お母さん)
「ということは、2代目でらっしゃるんですか?」
「ええ」(大将)
「その壁の(※)を見ると、"よしのすし"というのがいくつかありますよね」
「渋谷が親方で、そこで(父親が)働いていたんです」(大将)
「渋谷の『よしの寿司』は今でもあるんですか?」
「いえ。センター街を入ったあたりの右手にあったんです。今はランジェリーショップになってますね。兄弟でやっていた大井ももうないんです」(大将)
「まだやってるのは貧乏だからよ(笑)」(お母さん)
「いやいや(笑)」
「お腹いっぱいになりました?」(お母さん)
「はい。とてもおいしかったです」
「よかった」(お母さん)
壁の、というのは、老舗の寿司屋でたまに見かける、同業者や仲買の名前が書かれた板がズラーッと並んでいるヤツです。開店祝いなどで贈られる木札(招木)。もう最近じゃあんなの贈ったりしないんだろうな。老舗の証。この招木に渋谷 よしの寿司、大井 好乃鮨という名前があったのです。
お母さんも大将も、なんかとてもいい感じ。優しくて朗らかで、初めてなのにとても話しやすい。この人柄もまた、この店を支えてるんだろうなぁ。そしてお母さんの「お腹いっぱい?」というセリフ。時代なんだろうなぁ。
次はちらしずしでまんぷくになってみるか。
渋谷・センター街にあった好乃寿司
大将がおっしゃっていた渋谷の「よしのずし」が気になって調べてみたのですが、ネット上には「よしのずし」の情報が一切ありません。ところが! 偶然見つけてしまいました。
渋谷駅前、ハチ公広場に緑の電車"アオガエル"がありますよね。あの電車内に『渋谷の記憶Ⅰ』『渋谷の記憶Ⅱ』『渋谷の記憶Ⅲ』という写真集が置かれています(シリーズ自体はⅣまであります)。誰でも閲覧可能です。
『渋谷の記憶~写真で見る今と昔』シリーズは渋谷の今と昔が見比べられる写真集でして、パラパラめくっていたら、こんな写真を見つけました。昭和33年と現在のセンター街の写真です。
写真の右手をご覧下さい。マウンテン、トリスバー、好乃寿司! FOREVER21の手前のランジェリーショップ「BODYFOCUS」のあたりに「好乃寿司」があったという確かな証拠です(いつごろまであったのかは不明)。
昭和33年ということは1958年。今から約60年前。学芸大学の「好乃鮨」も創業50、60年ですから、もしかしたらの先代が働いていて、独立した頃かもしれません。先代はこんな風景を見ながら、毎日、寿司を握ってたのかぁ。
ただですね、ここでひとつの疑問が生じます。
渋谷会館はビリヤード場、トリスバー、飲食店、釣り堀など様々な業種を経て、インベーダーハウスとなったのをきっかけにゲームセンターとしての歴史を刻んできた。ゲームセンターとしての営業年数は実に35年。
渋谷・センター街にあった、2013年8月18日に閉館した渋谷会館モナコ。私も行ったことがあります。渋谷会館モナコはセンター街を入って左手にありました。あれ? 上の写真に写っている、渋谷会館モナコの前身とも言うべきトリスバーは右手にあります。大将が言っていたこと&『渋谷の記憶』の写真とガジェット通信のこの文言が矛盾しています。どういうことだ!?
なお、ガジェット通信ではオーナー中河氏から伺ったインタビューを後日掲載したい。
出典元:同上
この中河孝樹氏に話を聞こうと思えば聞ける。けど……。やめておこう。なんでもかんでも突き詰めりゃいいってわけじゃない。単なる個人の趣味ブログなんだし。少し気持ち悪いけど、あえて謎を謎のまま残しておこうw
大満足のちらし寿司
2019年4月某日。学芸大学の某居酒屋で飲んでいたら、気のいい先輩がいらっしゃいました。ご常連のよう。
「ひろぽん、こちらは寿司屋の大将なんだよ。下馬の」(友達)
「下馬?」(私)
「下馬通りと世田谷観音通りの交差点にそば屋があるんだけど」(友達)
「光月ね。てことは好乃鮨?」(私)
「よくご存じですね」(大将)
「うかがったこともありますよ。あ、今度、仕事でそっち方面に行くので、またランチでうかがいます」(私)
めっちゃダンディな格好をしてて、店に立っている姿と雰囲気がぜんぜん違うんだもん。わからなかったよw
数日後、実際にうかがいました。私が頼んだのはもちろんちらし寿司(大盛り)。
「先代は渋谷っておっしゃってたじゃないですか。渋谷にあったよしのずし、写真に載っているのを見つけましたよ」(私)
「よくご存じですね。そう、センター街にね」(大将)
「ここが昭和32年からでしょう。その前だから、もう60年前のことよ」(お母さん)
「まだ大学があった頃ですよね」(私)
「当時は東京第一師範学校と言ってね」(大将)
東京学芸大学の変遷・歴史を詳しく辿ると、とんでもないことになるので略。
江戸前の「ちらし」は五目ちらしではなく、酢飯にネタを重ねたもの。まぐろ、ほたるいか、たこ、こはだ、ほたて、たい、でんぶ、卵、かまぼこ、子持ち昆布、たくわん。
奥から手前に向かって盛るのです。そうすると波打つようにキレイにネタが並ぶ。本当はたこ・ほたるいかが正面のはずなんですが、味噌汁、サラダを入れ込むよう斜から撮ったため、こんなアングルになりました。
気取ってないでしょう。実直。見た目も味も。ついでに大盛りは本当にご飯が多くてお腹的にも大満足。おいしいなぁ。
「北海道からわざわざ昼の予約を入れてくる人がいてさ、予約を入れるような店じゃないのに、どういうことだよと思ったら、俳優の○○が好きな店として知られてるみたい」
「ファンなら来てみたいでしょうね。聖地巡礼だ」
「俳優ったって、子供の頃から来てるからなぁ。よくわからんw」
下馬親興会のこと、世田谷観音通り(旧明薬通り)のこと、いろいろなことを教えて下さいました。最盛期には60軒ほどの商店が下馬親興会に属していたそう。今は何軒かわかりませんが、相当に減っていて、界隈に飲食店は3軒だけ。
移りゆく街を見つめながら握り盛られる、60年前からそう変わらないであろう寿司。僕はこういうのも好きだなぁ。
SHOP DATA
- 好乃鮨
- 東京都世田谷区下馬5-7-10
- 03-3414-4524
- 公式