an/アン(学芸大学)は安藤さんの和食のお店。おいしい料理と温かい店主にほっこり癒されます/碑文谷・目黒本町の歴史と安藤

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学芸大学駅から徒歩1分。西口を出てすぐ左、交番前の道を折れた先に飲食店がたくさん入っているサンワビルがあります。その2階にあるのが「an/アン」。2019年2月頃にオープンしました。

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階段を上った正面が入口です。

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スナック・花→カフェバー・HAFURI(ハフリ)と移って来た物件。よく行っていたHAFURIが閉店し、その後に何ができるんだろうとずっと気にして見ていました。そうしたら、ある日、「an」という看板ができていたので、タイミングを見て飛び込んだという次第。こういう"タイミング"ってはだいたい酔った時なんですがw

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テーブル席に男性と女性、カウンター席に男性が先客でいらっしゃいました。

「こちらは何屋さんでしょう」

「和食のお店です」

おっと。予想が外れた。カフェバーのような店だと予想してたんだけどな。まさか和とはw

「飲むだけでも大丈夫ですか?」

「はい」

店主は安藤さん。安藤だから「an」なんですが、この名前がひじょーーに重要な意味を持っています。その話は後ほど。

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週末に料理担当の方がいらっしゃるよう。この日はちょっとしたつまみと食事メニューがいくつか。

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一瞬、オシャレなお通しかと思ったよw お手拭きでした。食べなくてよかったw これ、どうやってるんだろうな。

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ハイボールと安藤さん。

「僕も彼女もレッスン木とによく行ってます。お見かけしたことがあるような」

と隣の男性。

「あ、本当ですか。すみません、こちらは覚えてなくて」

初めて木とへ行った時は、ロミユニちゃんと元住吉のバインミー屋さん・Thao's(タオズ)の店主がいたのは覚えてるんだけどなぁ。その次に行った際も某店のオーナーさんがいたりして……やっぱ思い出せない。すみません(^^;

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これはお通しだろうな。いかの塩辛とブリの南蛮漬けとマイクロトマト。マイクロトマトは飾りだと思ってたら、トマトだと教えてくれました。こんなトマトがあるんだねぇ。プチっとおいしい。南蛮漬けも超うまい。これで十分よくわかる。安藤さんは料理がうまい。きっと他の料理もおいしいはず。

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「こちら、家で採れたレモンなんです。もしよければ」

安藤が家でレモン――酔っぱらいながらも勘が働きます。ここは掘り下げるところだと。

「レモンの木って大きいですよね」

「大きいですね」

「そんな木がお宅にあるということは、きっとお宅もすごいんでしょうね」

ここで隣の男性がこんなことを。

「このあたりで"安藤"は有名ですから」

やっぱり。

「平和通りのほうに安藤さんがいらっしゃいますよね。郵便局の隣にも」

「よくご存じですね。目黒本町が本家です」

「安藤さんはみなさんつながりがあったり、交流があったりは?」

「もともとつながっていたこともあったかもしれませんが、今は特には」

安藤姓は界隈の旧家、名家。この土地の発展に大きく寄与した方々(の子孫)なのです。興味のある方は記事末をご覧ください。面白いですよw

さて、と。

「緑茶割りをお願いします」

「緑茶……」

「あ、緑茶がないとか? なんでもいいですよ」

「いえ……」

冷蔵庫をのぞきながら、もじもじする安藤さん。

「あ、なるほど。氷か」

「そうなんです、氷がなくなってしまって……」

あるあるw

「走って買ってきましょうか」(男性)

「いや、まだお客さん来ます?」

「23:30までなので、もう」

時計を見るともう23:30を過ぎていました。

「じゃあ氷を買って来ることもないな。氷を使わないもの……日本酒お願いします」

23:30までと言われ、23:30を過ぎていることをみずから確認し、なのにまだ飲もうとするかw

土モノの片口と猪口でした。注がれたのは景虎。写真を撮り忘れw

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「もしよければこちら。じゃがいもと母が漬けてるたくわんです」

梅肉が和えられたシャクシャクのじゃがいも。カツオ系の風味もしたのは気のせいか。穏やかだけどふくよか。おいしいな。そして、なんといってもたくわん。超うまい。安藤一族のたくわんぞよ。こいつぁちょっとしたもんだ。

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隣の男性はお帰りになり、客は私一人となりました。もう閉店時間を過ぎているというのに、まあ長居しちまったな。いろいろお話をうかがいました。

「前はどこかで?」

「ずっとサンライズにいたんです」

「そうなんですか! カニクリームコロッケおいしいですよねぇ」

「その頃のお客様がいらっしゃることもあるので、オープン時間が早めなんです」

サンライズに来ている客=ご年配=時間が早い、ということかw まあ、営業時間はやって行く中で変わる可能性もあるけどね。

「あと、十字街のVineでも働かせてもらったり」

「昔からお店をやりたかったんですか?」

「はい。シナトラが好きで、あんな感じのお店にしたいなぁと」

煮ジルの? なるほど」

私が煮ジルと言って否定しなかったから、シナトラであってるよな。もしかしたら、しとらす(下馬1)と聞き間違えてたかもと思って。

※煮ジル、ジル、シナトラなどは基本的に(株)ジリオンが運営(FCや暖簾分けもある)。しとらすは三宿通り沿いの人気店。学芸大学に姉妹店・いりこ家があります。

「最初、レッドイン丸花の2階の物件も見ていたんですが、造作譲渡料が……」

レッドイン丸花は楽生茶屋プレミアワンが入っている飲食ビル。2階手前の物件はとり福→バルコ→boon!boon!boon!→ageha(2019年2月現在)と移って来ました。

「そうですねぇ。あっちは周囲に人気店が多いし視認性も高いし、もしかしたら客足は多くなったかもしれない。けど、物件としてはこっちのほうがいいような気もするし、こっちでよかったんじゃないですかね」

「そうこうしてたら、あちらが決まって、そんな時にちょうどここが出たので。居抜きそのままですが」

「え? 壁紙は張り替えてるでしょ?」

「いえ、拭いただけです」

「そうなんですか。まったくそう見えない。前に比べるとすごくきれいでw」

改めてHAFURIの写真を見てみました。確かに壁はそのまま。照明の具合とかで見え方がぜんぜん違うんだねぇ。もちろん掃除にかなりの労力を割いたわけですがw あ、ちなみに禁煙です。

とりあえず開店させることが第一だったろうから、手を加えるにせよ、内装的なことは追々でしょう。少しポップな和とかよさそうだけどね。この雰囲気から作るなら。

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モノマガジンより

「もともとはハリウッドランチマーケットにいたんです」

「えええ! ハリウッドランチマーケット大好きで、ほら」

後ろを向き、ジーンズのパッチを見せます。ちょうどBLUEBLUEだったので。

「15~20年前、あの辺に10年くらい住んでて。OTTOというバーのマスターも聖林公司。中村昭三さんって言うんだけど知らないか。あ、このジャケットもハリランで、もう20年くらい前のものなんだけど……」

「ボンタンアメの頃ですかね」

「あー、そうそう!」

超楽しいw もうね、ハリウッドランチマーケットについては話したいことがいっぱいありすぎてw

「代表のお宅にもうかがったことあります」

「すごい! あの部屋、ネオンクロックがずらっーっと並んでる部屋いいよねぇ(※上写真)」

「入社する際、ボタンを押して、あのネオンクロックに一斉に灯りをつけるということをするんですw」

「なんの儀式w ああ、ここもハリウッドランチマーケットぽくしようよ。ネオンクロック壁に貼ってさw」

「それはちょっとw あ、このエプロン、HOMES' UNDERWEARですよ」

胸のあたりにHOMES' UNDERWEARのタグが入ったデニムのエプロン。おしゃれ。

それにしても、聖林公司出身者が立て続けに学大に店を出すというのは面白いな。

※ハリウッドランチマーケット(HRM)、HOMES' UNDERWEARなどは(株)聖林公司(代表:ゲン垂水)が運営するファッションショップ。BLUEBLUEは同社ブランド。昔、HRMはボンタンアメをモチーフとしたアイテムをリリースしていました。私のジャケットはボンタンアメ時代より古いかもしれません。

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会計は1400円だったような……。違ったかなぁ。500円+600円+お通し300円とかかな。いかんせん、このあとさらに飲みに行って記憶が(^^;

温かくて穏やかで懐の深さを感じさせる安藤さん。すごくホッとする。癒される。

まだオープンしたばかり。徐々に方向性が固まっていくでしょう。とはいえ、ジャンルは違いますが、たとえば「木と」や「ento」なんかに似たタイプのお店になっていくような気がします。おいしい肴と温かい店主にほっこりしに行ってみてください。

※酔っ払ってたので記憶違いがあるかもしれません。誤りがありましたらお知らせ下さい。修正します。

DATA
店名an(アン)
住所東京都目黒区鷹番3-6-16 サンワビル2F

碑文谷・目黒本町と安藤さん

「市都合併記念 碑衾町誌」(編:碑衾町役場/1932年)にはこんなことが書かれています。

産土神の八幡神社と法華寺の創建が碑文谷開発の中心となったが、旧家として残る宮野氏の祖先は碑文谷開発の草分けであった。この土地開発の先駆者としてまず原野を開墾して農作物を作り、ついで産土神を祀り、法華寺を護ったのであった。その他向原の安藤氏、本郷の角田氏等を初め、旧家と称する諸家はかなり古くら土地の開墾、農事に従事し、碑文谷開発に貢献した家柄である。

産土神(うぶすながみ)はざっくりいうと生まれた地域の神様。本来的には違うのですが、まあ氏神と同じような意味合いだと思って下さい。八幡神社は碑文谷八幡宮、法華寺は円融寺のことです。鎌倉時代から江戸時代にかけて長く、宮田、安藤、角田といった一族がこの地を開墾し田畑にしていきました。

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界隈の安藤と言えば、碑文谷鬼子母神(ひもんやきしもじん)。入口の階段脇に碑文谷鬼子母神十羅刹女と刻まれた石柱が立っているのですが、その裏面にはこう記されてます。

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当鬼子母神堂ノ開基ハ元和二年(一六一六年)コノ地ニ住ミシ安藤藤八郎ガ鬼子母神十羅刹女ヲ勧請シテ現在ノ堂ヲ建立シタ御本尊ハ靍サ二十四糎ニ体十八糎十体ノ豊麗ナ面相体貌ノ彩色立像デ須彌壇内ニ安置サレテイル 堂内ニ高サ六十糎幅二十四糎ノ板碑ガアリ中央ニ題目・七字左右ニ釈迦多實下ニ奉勧請鬼子母神十羅刹女武州荏原郡碑文谷村安藤氏持奉ト記サレテイル所有主ハ佛母山摩耶寺デ地元ノ鬼子母神講ガ管理シテイル

堂を建立したのが安藤藤八郎。現在、碑文谷鬼子母神は碑文谷向原教会(日蓮宗)が管理していて、その代表も安藤さん(※管理、代表という言い方は不正確。わかりやすく説明してます)。

こちらの資料も面白いですよ。明治頃でしょうかね。碑文谷村の土地所有者一覧です。

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角田と安藤だらけ! とうよこ沿線:写真が語る沿線「明治・大正時代の武蔵小山」によると、学芸大学も武蔵小山もほとんどがまだ田畑だった時代、向原(目黒本町あたり)にはふたつの姓しかなかったそうです。安藤と島です。安藤が16軒、島が5軒だったそう。

※島ではなく嶋かもしれません。昔の資料によく出てくるのは嶋ですし、現在でも表札でよく見かけるのは嶋

学芸大学視点で言うと、どちらかというと角田さんのほうが馴染みがあるかもしれませんけどね。西口商店街の出口にまいばすけっとができたでしょう。あのビルもTSUNODAビル。

ただ、ひとつ注意が必要なのは姓(名字)が同じだからと言って必ず血縁関係があるかというと、そうとも限らないということです。基本的に庶民が姓を持つようになったのは明治以降。そして、その土地に紐づいた姓を名乗ることもしばしばでした。土地によって多い姓があったりしますよね。

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転載元/目黒区立図書館:目黒資料のページ

こちらは東京府荏原郡目黒町全図 碑衾地区(当時碑衾町)。昭和5年現在(昭和7年発行)。真ん中の碑衾町役場はオオゼキ碑文谷店の隣の碑文谷保健センターあたりです。

碑衾町役場の少し南をご覧ください。安藤山とあります。安藤の名が冠された町名があったんです! その南、宮ノ久保は碑文谷八幡宮あたり。ですから、安藤山はすずめのお宿緑地公園あたりでしょうか。確かに碑文谷八幡宮の東端は低く窪地になっていて(立会川があったしね)、そこから環七あるいは碑文谷警察方面へ地形は上っていますよね。だからおそらく安藤"山"。

いずれにせよ、町名になるほど安藤はこの地に根ざしていたということです。

参考/wikipedia:碑衾町(ひぶすままち)

時代が進みます。

詳細は省きますが、目蒲線開通(1923年3月/大正12年)、関東大震災(1923年9月/大正12年)、東横線開通(1927年/昭和2年)によって、この地の人口が劇的に増加。また、大正から昭和初期にかけての耕地整理により田畑・農家は減って宅地化していき、太平洋戦争(~1945年/昭和20年)もあって、この土地の"安藤色"は薄まっていきます。

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とはいえ、今でも平和通りを西から東まで歩くだけで、"安藤"と名の付く会社、マンション・アパートをいくつも目にすることができます。"安藤"がこの地の歴史と長く深く関わってきた証とも言えるでしょう。

もちろん最近になって他所から越してきた安藤さんもいますが、昔からの安藤さんは旧家、名家、地主であることが多い――といったことをそれなりに知っていた私の目の前に、突然、安藤が現れたんですよ。そりゃアガりますわw ついでにこんなに長い説明も書いてしまいますわw

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