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谷戸前川(学芸大学・祐天寺・目黒)の暗渠を巡ってみよう!(1/3)~祐天寺から目黒へ川下り/暗渠の基礎知識

かつて東京都目黒区に流れていた谷戸前川(やとまえがわ)を3回に分けて紹介していくシリーズです。暗渠初心者にもわかりやすいよう、できるだけ平易に書いたつもりです(私自身も素人に毛が生えたようなものw)。暗渠に興味ないという方も、まあちょっと目を通してみて下さい。

「ああ、あそこってそうだったの!」

という発見があるかもしれませんよw

目次

祐天寺から目黒へ川下り/暗渠の基礎知識(1/3)
第一章:谷戸前川の基礎知識
第二章:祐天寺(目黒区中町)から始まる谷戸前川
地形図、古地図、航空写真で見る学芸大学の川(2/3)
第三章:地形図で見てみる
第四章:古地図で見てみる
第五章:戦前の航空写真で見てみる
第六章:地形図、古地図、航空写真を見てわかること
謎だらけの学大の"川"を下ってみた(3/3)
第七章:学芸大学(目黒区中央町)発の谷戸前川を下る旅
第八章:谷戸前川を改めて振り返る

第一章:谷戸前川の基礎知識

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谷戸前(やとまえ)は昔の地名です。お寺の祐天寺周辺が谷戸前でした。谷戸(やと)とは谷状の地形のこと。

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中町通り(なかちょうとおり)の祐天寺裏交差点付近を思い出してみて下さい。

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祐天寺裏交差点の同じ地点から北と南を向いて撮影しました。駒沢通りから下ってきて、祐天寺裏を越えると油面方面へ上っていきます。ここは谷になっているのです。

あるいは駒沢通り。中目黒方面に向かって下って、目黒川を越えると恵比寿方面へ上りますよね。まさに谷。そんな谷に面した地域だから「谷戸前」というわけです(おそらく)。

この谷戸前には川が流れていました。谷戸前川です。目黒川につながる川でした。現在はすべてフタをされ、あるいは埋め立てられ、川自体を目にすることはできません。このような状態を暗渠(あんきょ)と言います。碑文谷八幡宮前から西小山方面へ延びる緑道。あれも暗渠です。立会川という川でした。

※このシリーズでは埋められた川跡も含め、広い意味で暗渠という言葉を使います

祐天寺に端を発するはずの谷戸前川の記事で、なぜゆえに学芸大学タグがついているのか。実は学芸大学とも非常に強い関係があるのです。とりあえず、わかりやすい祐天寺(目黒区中町)発の谷戸前川を見ていくことにしましょう。

参照/wikipedia:溝渠(暗渠含む)

第二章:祐天寺(目黒区中町)から始まる谷戸前川

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これに関しては、ネット上にいくらでも情報があります。なかなか面白い暗渠としても有名です。地図上の番号は記事中の番号に対応しています。

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(1)スーパー三和のある祐天寺二丁目交差点です。ここが谷戸前川の始点。焼肉屋「東京苑」の隣に緑色の車止めがありますよね。ここです。なお、このような車止めは暗渠であることを示唆するサインでもあります。

正確な位置は不明ですが、ずっと昔(江戸時代とか?)には水源があったようです。けど、いつの頃からか(明治時代とか?)、この川は生活排水などを流すための"川"、今で言う公共溝渠のようなものとなります。

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キレイに赤いレンガが敷かれています。この下が川でした。川にしては不自然なくらい真っ直ぐ延びてます。川だった頃は蛇行していたかもしれませんが、これが整備され溝渠となり、真っ直ぐになったものと思われます。

どんどん東へ進んでいきましょう。

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(2)谷戸前川のスペクタクルスポットのひとつ。谷戸前川を分断するように横切っているのは中町通り。すぐ左には祐天寺裏交差点があります。

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これは同地点を中町通りから見た風景。奥の信号が祐天寺裏交差点です。その手前で谷戸前川が横切っています。いい景色でしょ?

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(3)裏路地っぽかった暗渠がパッと開ける地点。ライオンズマンション 祐天寺の前です。見えますかね。暗渠が続くその先は、暗渠と同じ幅で歩道が続いています。妙に広く取られた歩道も暗渠サイン。

学芸大学在住の方であれば、「香氣(こうき)」あるいは「串カツ田中」を思い出して下さい。前に広い歩道がありませんか? あれも暗渠です(単純化して説明してます)。詳しくはまたの機会に。

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(4)谷戸前川と右から来る油面通りがぶつかる地点。ここには、かつてあった「自然園」についての説明立て札があるのですが、詳しくはまた後日。

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(5)谷戸前川のふたつ目のビュースポットがやって来ました。左からグッと右へ曲がるのが中町通り。撮影地点の左後ろから谷戸前川が流れて来ています。撮影地点真後ろから来ているのが油面通り。左奥を真っ直ぐ行くと、山手通りの田道交差点に出ます。

正面に青い建物がありますね。これからその裏手に向かいます。

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(6)裏手はこんな感じ。

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庚申塔(とちの木庚申)が建っています。

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これは何でしょう。かき氷機? 風情があります。

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暗渠はこんな風に続きます。ここからは谷戸前川緑道と呼ばれています。

なお、谷戸前川はここで二手に分かれていました。もう一本は南へ下る現在の中町通りとほぼ同じ流路。途中で谷戸前川緑道の筋に合流していました。

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(7)ザ・暗渠。キレイに舗装され、両脇には植え込みも。マンホールの多さにも要注目です。

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(8)ずっと進むと、大塚山公園の裏手にぶつかります。青い階段を上った先、右手の壁の上が公園。谷戸前川緑道はここで90度折れます。

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(9)緑道が終わると、再び路地裏のような道になり、その先が開けます。

地面を見てみて下さい。道路が車道と歩道のごとく、ふたつに分かれてます。これは車道・歩道ではなく、暗渠サイン。川が流れていた部分と道だった部分の差です。舗装された時期、舗装の仕方、道路下の状況の違いなどから、このような差が生じます(わかりやすく単純に説明してます。境目の出っ張りは正確に言うと護岸)。

さて、この路地を抜けると、一瞬、「あれ? 暗渠はどこに続くんだ?」となります。が、ここでも90度折れますと……。

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(10)正面に再び匂い立つような暗渠が表れます。実は右手からも川が来ていたのですが。とりあえず真っ直ぐ進みましょう。

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(11)ちょっと俯瞰して想像してみて下さい。大鳥神社に向かって目黒通りは急激な坂道になっています。ここに限らずすべてそう。野沢通りも駒沢通りもかむろ坂も坂。目黒川に向かって谷になっているからです。

さらに、この谷戸前川自体も谷状になっています。先の大塚山公園と同様、ここもまさに谷の地形がよくわかる風景でしょう。

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(12)先に山手通りが見えて来ました。どこに出るかというと……。

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(13)左の赤いコーンのところが谷戸前川の出口。写真右奥に見えるのはラーメン二郎 目黒店。こんなところに川が通っていたのですよ。

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(14)山手通りをそのまま越えると、こんな道になります。くねくねと曲がる道も暗渠サイン。円融寺付近も大きくカーブした道がありますよね。あれも暗渠です。川が流れていたその流路がそのまま道となり、くねくねと曲がった道ができあがります。

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突き当たりは目黒区民センター。テニスコートがあったり、プールがあったり、体育館があったり。この下を谷戸前川は流れています。その証拠に……。

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(15)目黒川を渡り、対岸から目黒区民センター方面を見ますと、こんな排水溝が。この長い旅で唯一、谷戸前川の存在が目にできるポイントです。姿は見せずとも、脈々と地下を流れていた谷戸前川。なんて感動的な光景なのでしょう。

以上が祐天寺(目黒区中町)発の谷戸前川暗渠です。

いかがでしたか? 普段、何気なく見ていた道が実は川だった。知らない内に川の上を歩いていた。そんな方もいらっしゃるのでは。楽しくない?w

ここまでは暗渠初心者編。次回からは学芸大学の"谷戸前川"を巡っていきます。ネットでは(おそらく書籍でも)一切触れられてないこともご紹介しますので、暗渠のプロも乞うご期待w

関連記事:学芸大学(あるいは武蔵小山、西小山、祐天寺)周辺の通り名&商店街マップ~通り名、商店街名を知ると街が楽しくなる!

附録:谷戸前川の水源、駒沢通りと庚申

祐天寺(目黒区中町)発の谷戸前川の水源はどこだ?

目黒区の公式サイトにこんな記述があります。

五本木あたりに水源を持ち、中町、祐天寺裏から中目黒、目黒と流れ、目黒区民センター付近で目黒川に注ぐ目黒川の支流です。現在は全て暗渠となっていますが、その上が歩道となっているので、川筋をたどることができます。目黒川に注ぐ下流部をかつては「耕地(こうち)」といったので、耕地川(こうちがわ)とも呼ばれています。

出典/目黒区:文化財めぐり(中目黒コース)

五本木と言っても広いです。そして、この記述が正確とも限りません。というのも、現在の五本木と昔の五本木は範囲が異なり、記述者がどこまでわかって五本木と書いているかが不明だからです。要はソースがないから信用に足りないw

もし、現在の五本木ということであれば、蛇崩川と水源を同じくしていた可能性も出て来ます。これはやばい。本当にそうだったら暗渠界に激震が走りますw

実際に界隈を歩いても、水源の跡は一切わかりません。水源があった頃に生まれていた人もいないでしょう。もしかしたら、どこかにこのヒントとなる文献があるかもしれませんが、そこまで調べ切れないので、素直に「わからない!」としておきますw

駒沢通り以前のメインストリート

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祐天寺二丁目交差点です。手前から右奥へ延びているのが駒沢通り。スーパー三和で二又に分かれ、斜めに入っていく通りもあります。中央中通りです。中央中通りは途中で南東に折れます(中央中通り商店街、清水商店会方面)。

これを折れずに、そのまま真っ直ぐ行くと、「かっぱ」「麦ばたけ」「香氣」「こむぎ」、そして目黒通り(コナミスポーツクラブあたり)へと続きます。通り名は特にありません。

さて、昔は祐天寺二丁目交差点以西に駒沢通りはありませんでした。この界隈の駒沢通りが整備されたのは、大正末期から昭和初期にかけて。東横線の敷設に伴い、周辺地域もどんどん整備されていきました。ちなみに、学芸大学駅(当時は碑文谷駅)が開業したのは1927年(昭和2年)。ですから、駒沢通りができる以前はこの斜めに入っていく、目黒通り方面へと続く道がメインストリートでした。

庚申が建立される場所は地域の要所

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谷戸前川の始点のすぐ裏には、さわら庚申があります。1663年(寛文3年)建立。建立当時から場所は多少移動しているようですが、すぐそばに川があり、主要道路が大きくカーブし、東西南北へと向かう道の分岐点で、大きな寺・祐天寺がある。さわら庚申は(そして庚申の多くは)地域にとっての要所に建っているということです。逆に、庚申が建っているということは、昔、その辺りは要所だったんだなぁということがわかります。

先ほど、とちの木庚申がありましたよね。あれもすごい場所でしょう。昔は要所だったということです。

暗渠、川、道、神社仏閣、庚申。これらは密接につながってるんですねぇ。

追記。

「五本木の歴史」(編:山口敏夫/1976年)に載っていた図から、さわら庚申はスーパー三和のあたりにあったと思われます。

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